2012年12月23日日曜日

「60年見守ってくださった方」


「60年見守ってくださった方」 小山 茂

 福山ハルヨ姉というひとりのキリスト者を語らせてください。12月9日午後、福山ハルヨ姉が天に召されたと妻から知らせがありました。阿久根での礼拝を終えて帰宅して、ホッとしてくつろいでいました。もしこの方と出会っていなければ、私はキリスト者になっていませんし、まして牧師とされていませんでした。4年前から東京老人ホームに入居され、105歳と9カ月のご生涯でした。幼稚園の時から60年間、私を見守ってくださいました。25年前に天に召された福山猛牧師と福山ハルヨ夫人(皆さんこの呼び名をされていました)、このお二人の存在が私にとってどれほど大切な方であったか、改めて振り返えらせてください。

 私の通った近所の幼稚園は、東京品川にありました五反田ルーテル教会でした。我が家は当時第二京浜国道と呼ばれる広い通りに面して、食料品の小売をしていました。食事や弁当のおかずなどは、私の家でほぼ揃うような店でした。ですから、福山夫人も五反田駅からルーテル教会の途中にある店に、よく寄ってくださいました。福山夫人をこの9月に訪ねた折、「家の前で、よく三輪車で遊んでいたわね」と言われました。家の前は広い歩道があり、両親が店番をしている前で、私はよく三輪車で遊んでいました。我が家は私が小学校2年の時、東京西部に引っ越しました。そんな訳で私はルーテル教会から離れ、ご夫妻とは年賀状や暑中見舞いの往復だけになりました。私はよく版画の年賀状を手作りし、その印象から皆さんが私を憶えてくれました。

 福山猛先生が牧師を引退され、東京老人ホームに用事で来られる途中、武蔵野市の我が家に寄ってくださったことがありました。久しぶりにお会いする先生は、昭和天皇に似た雰囲気をお持ちでした。幼稚園時代の先生は、サンタクロース姿の写真が私のアルバムに残されています。しかし、幼稚園児の私と先生は、かなり年が離れており、話した記憶は余りありません。そして、私が30歳を過ぎた時人生に躓いて、自らの心を開けなくなりました。そんな折、教会に来ませんかと勧められて、武蔵野教会の礼拝に行くようになりました。

 教会の皆さまに温かく迎えられ、少しずつ心を開けるようになり、35歳のイースターに受洗をしました。教会がきっかけとなり紹介された妻と知り合い、37歳で結婚しました。賀来周一先生に司式を、福山猛先生に説教を創世記から力強いメッセージをしていただきました。猛先生はたいへん筆まめな方で、山から便りを出すと返信をくださり、年賀状には和歌が載っていました。その先生も25年前に召天された後、福山ハルヨ姉との交わりが始まりました。猛先生の後を引き継ぐかのように、我が家の歩みをじっと見守ってくださいました。子どもの誕生日、進入学など憶えていてくださり、カードと心のこもったプレゼントをいただきました。初めての子を授かった時、新生児室まで見に来られて、とても喜んでくださいました。我が家の二人の子ども〔24歳の息子と22歳の娘〕は、「福山のおばあちゃん」と呼んでいました。

 私が53歳の時27年間勤めた職場から、リストラされて突然解雇されました。それが私の躓きとなり、なかなか立ち直ることができませんでした。半年の間悩んで、私が神学校に行くと決めた折、福山夫人はずいぶんと心配されたそうです。私には直接いわれないで、どなたかに漏らされたそうです。6年かけて神学校を卒業し按手を受けて、老人ホームにお邪魔して、最初に聖餐をご一緒したのが福山夫人でした。とても喜ばれたお顔をされ、今でもよく覚えています。

鹿児島に牧師として赴任し、毎月送る月報を楽しみにされ、自宅に戻る時は老人ホームを訪れました。最後に訪ねたのは9月中旬でした。11時半に行きましたら既に昼食中で、部屋で待ってほしいと言われました。終わるまで待ってから2時間ほど話しました。少し耳が遠くなられ、ホワイトボードで筆談をしました。一緒に讃美歌を歌い、子どもたちの近況を伝え、そろそろ失礼します、と申し上げました。最後に手を握るとなかなか離してくれず、また来ますからといいました。お名残惜しそうに何度もじっと私を見て、送り出してくれました。

召天される数日前に妻が娘を連れて訪ねた折、お会いできたのは何よりでした。3週間前から食事をされず、アイスクリームを口にされていると伺い、気になっていました。福山夫人の一生は、主に委ねたキリスト者の生き方と思います。何度も骨折をされたり、肺炎で入院されたり、その度ごとに病院から戻られ、命の恵みをいただいていると思います。また、好奇心が強く、前向きで、委ねるがゆえの楽観的になれる方でいらっしゃいました。お茶がたいへんお好きで、誕生日、敬老の日など、差し上げていました。老人ホームに入られてから、差し上げられなくなっていました。ある時介護士さんに、特別にお茶を贈りたいのですが、と相談しましたら、承諾をいただきました。それから鹿児島茶を差し上げるようになりました。

 福山猛先生、ハルヨ夫人との交わりは、さまざまな形で広がりました。御長女の尚美姉は、幼稚園で私の担任でした。折に触れてご夫妻の5人のお子様方ともお会いしました。神学校の教会実習で訪れた藤が丘教会では、お孫さんの内藤裕幸兄がいらっしゃいました。私が教会に戻れたのは、福山猛先生が筆まめだったからで、私もそのようになりたいと念願しています。もうお茶や月報を送ったり、ホームを訪ねたり、する必要がないと思うととても寂しい気がします。どうぞ天の国から、猛先生と御一緒に私たちを見守ってください。そして、いつか再会できることを楽しみにしています。

 たいへん個人的なことを書いて恐縮ですが、こんなキリスト者にされたいと思いながら、これまで交わりに迎えてもらいました。福山猛先生とハルヨ夫人、そんな素敵なご夫妻が、ルーテル教会の信徒としていらっしゃったことを知っていただきたく、文章にいたしました。

2012年12月16日日曜日

説教・神のご計画の中に


待降節第3主日 説教原稿   鹿児島にて  2012.12.16
サムエル下7:8~16 ローマ16:25~27 ルカ1:26~38「神のご計画の中に」

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにありますように。アーメン

《序 受胎告知》
 待降節第3主日の日課はルカ福音書1章で、受胎告知が語られています。天使ガブリエルが、マリアは身ごもって男の子を産む、と告げたところから始まります。「受胎告知」というと、私たちはどんなイメージを持っているでしょうか。「受胎告知」という題の絵はたくさんありますが、エル・グレコによるものは1600年頃に描かれています。マリアが天使ガブリエルから主イエスを受胎すると告げられる場面が描かれています。天使が左手に持つのは、マリアの純潔をイメージする白百合の花であり、 中央に舞い降りて来る鳩は、聖霊をイメージしています。この絵は第一次大戦直後の混乱の時、日本に買い取られて倉敷の大原美術館に所蔵され、そこでオリジナルを観ることができます。このエル・グレコの絵は古い宗教画というより、赤と黄の鮮やかな色使いは恵みを表しているように見えます。

 よく知られている「受胎告知」ですから、多くの画家がこの出来事を描いています。レオナルド・ダビンチを始めとするほとんどの絵は宗教画の枠の中に留まり、落ち着いた色合いで描かれています。マリアに告げられた神の意志を考えるなら、彼女にとって恵みの出来事、と素直に受け取られるのは、難しいのかもしれません。身ごもっていることがいいなづけに知られるなら、困ったことになるからです。そして、神から与えられた使命を、若い彼女は負担に感じるかもしれません。乙女マリアがどのように神のご計画を知って、天使の御告(みつ)げに答えるのか、ルカ福音書に聴いてまいりましょう。

《2 伝えられた神の御計画》
 神はご計画を伝えるため、天使ガブリエルをマリアに遣わします。天使はマリアに伝えます、「おめでとう。恵まれた方。」マリアはメッセージを聞いて、何がめでたいのか、どうして恵まれているのかさっぱり分かりません。彼女が身に覚えのないことで、戸惑うのはもっともなことです。さらに天使はいいます、「あなたは身ごもって男の子を産むが、・・・神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。」自分が身ごもって男の子を生み、その子に王座が準備されていると告げられます。動揺するマリアは天使に答えます、「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」まだ男性を知らないから、そんなことはありえません、と乙女マリアは天使の御告げに疑いをもちます。

 ナザレという小さな町に住む、マリアという僅か12歳ほどの乙女に、神はご計画を明かし、この出来事が始まりました。乙女の穏やかな暮らしに神は介入され、思いがけないことが彼女に降りかかってきます。戸惑う彼女に天使はいいます、主があなたと共におられるから恐れることはありません。そのように告げられても、分かりましたとはいえません。彼女はいいなづけのヨセフと婚約しており、ユダヤ法では結婚と同じ意味をもっています。もしも姦淫の罪で訴えられたら、石打ちの刑にされるかもしれません。天使ガブリエルは、マリアを恐れざるをえない状況の中においているのです。マリアは御告げを信じるかどうか、決断を迫られています。

《3 人に分からない、神のご計画》
 私たちは信じる前に、いや信じたと思った後でも、自らの決断を疑うことがあるのではないでしょうか。私たちは誰にでも必死に考えて悩み、袋小路に入って抜け出せない、いくら考えても分からないことがあります。乙女マリアはこの時そのような状態にありました。彼女は天使の御告げを確かに疑っていたと思われます。それでも、「お言葉どおり、この身になりますように」と答えます。彼女がそのようにいえた理由が、聖書のどこにも見当たりません。マリアの気持ちをさまざまに考えますが、どうしても分かりません。神のご計画は、私たち人間に分からないことがあります。  今朝の聖書はその理由を明かさずに、謎としているからです。私たちが勝手な意味づけをして、解釈すべきことではないようです。

マリアは決断して、神にお任せしています。それが信仰というものではないでしょうか。すべてが分かってから信じるなら、私たちの信仰はスタートラインに、何時までも立てないかもしれません。説教の最後に「人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなた方の心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るように」と申し上げます。私たちの知恵や知識を超えて、神はご計画をされて御旨を伝えられます。ですから、神の意志すべてを人間が理解して、成るほどよく分かりました、といえるとは限りません。それでも信じられる、それが本当に主に委ねる、そして平安を与えられる、ということではないでしょうか。

天使はマリアの疑問に応えて、「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む」といいます。彼女に聖霊が降り、神の力に覆われます。そして天使は「神にできないことは何一つない」といって、神は全能であり、神にとって不可能なものは何もないと告げます。そしてマリアは最後に、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と言葉を返します。マリアは分からないながらも、最後に決断し主に任せていきます。この「はしため」と訳されている元のギリシア語は、女奴隷という意味があります。神の呼びかけに対して自らを奴隷のように、主に従う者であると信仰告白をしています。そして神のご計画が、わたしマリアを通して成就しますようにと祈っています。

《4 旧約預言の成就》
 今朝の初めの日課は旧約サムエル記下7章で、預言者ナタンがダビデに告げた言葉です。ナタン預言と呼ばれる12~14節はこのように語られています。「あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に後を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。この者がわたしの名のために家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえに堅く据える。わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。」

神はダビデの子によって王国の王座をとこしえに堅く据(す)えると告げ、「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる」と神の約束を記しています。そして新約ルカ福音書では、天使ガブリエルはマリアの子が「永遠にヤコブ(イスラエル)の家を治める」と告げます。このように、ダビデにされた約束は、ダビデの家系である父ヨセフを通して、主イエス・キリストがダビデの子孫として王とされます。イエスと名付けられた救い主は、この世を治め、その支配は永遠に終わることがない、と天使を通して宣言されています。サムエル記7章のナタン預言は、ルカ福音書に記された通りに、こうして成就されていきます。

 主イエスに与えられた父ダビデの王座とは、金銀宝石を散りばめた豪華な王座ではなく、私たちが救われるための十字架でした。主イエスを生贄として罪赦されるため、神がその独り子を私たちに献げてくださったからです。このような思いもかけないご計画を、私たち人間が考えて理解できるものでは到底ありません。それほどまでに豊かな恵み、神の御旨を私たちはいただいているのです。

《結び 主に委ねる》
 先ほどのマリアの言葉「お言葉どおり、この身に成りますように」は、信仰の告白です。主が自分に働かれる恵みを受け止める、それはマリアにとっての十字架となります。この後に両親ヨセフとマリアは、幼子イエスを連れて初めて神殿に詣でます。その折、老シメオンが幼子を腕に抱き、救い主に出会うことができたから、もう思い残すことなくこの世を去ることができる、と賛歌を次のように歌います。それが礼拝の中で歌われる「ヌンクディミティス」です。♪「今わたしは、主の救いを見ました」で始まる歌です。「この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ちあがらせたりするためにと定められています。また、反対を受けるしるしとして定められています。」《2:34》幼子イエスは将来人々から嘲(あざけ)りや侮辱(ぶじょく)を受ける、その対象とされます。我が子がそのような苦難を受け、30年後に十字架につけて殺されると、乙女マリアはまだ知らなかったことでしょう。彼女が決断して信じていく、神のご計画に従っていく、若い乙女の潔(いさぎよ)さを見る思いがいたします。

 神はマリアだけでなく、私たちにも働かれます。神が皆さまに働かれ助けてくださった、と後になって気付かされることは、ありませんでしょうか。その時は分からなくても、自らの歩んだ道を顧みるなら、あの時主は私と共に歩いてくださった、と思えることがありませんでしょうか。よく知られた「足跡(あしあと)」という詩にもあります。主が私と共に歩まれた道を振り返ると、ひとつの足跡しかないところを見つけ、主は私を見捨てられたと言います。そこで主は応えられます、「足跡がひとつだった時、私はあなたを背負って歩いていた。」そのような経験を、皆さまもお持ちではないでしょうか。私たちが最も困難にある時、主は私たちを背負って歩んでくださるお方です。

 待降節第3主日(アドベント)の今、3本の蠟燭(ろうそく)が灯され、来週はいよいよクリスマスの訪れです。御子イエス・キリストのご降誕を待ち望みながら、マリアの決断を聞いて力づけられ、主イエスの御後に従えるよう、導かれています。マリアのように、「わたしは主の僕です。お言葉どおり、この身に成りますように」と告白しつつ、私たちに働かれる主の御旨を、受けてまいりましょう。

《祈り》慈しみ深い主よ、マリアは天使の御告げを受け、「お言葉どおり、この身になりますように」と、神のご計画を受け入れました。あなたのご計画は、私たちにはその時分かないことが、後になって分かります。それでも、あなたに委ねて、御後に従う者とさせてください。主イエスのご降誕を待ち望む、私たちのところに来てください。この祈りを主イエス・キリストの御名によって、御前にお献げいたします。アーメン

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守られますように。アーメン
 

2012年12月2日日曜日

ブラジルと鹿児島がつながる



「サンパウロからいちき串木野へ」   小山 茂

 ブラジル日系ルーテル教会の徳弘浩隆先生より、11月29日電子メールが私に入りました。手紙と写真18枚が添付され、いちき串木野市の親族に届けてほしい、と依頼されています。徳弘先生の教会に来られている女性のご主人が11月21日に召天され、翌日ブラジルの慣例により徳弘先生が葬儀と埋葬をされました。ご主人は鹿児島のご出身で、奥さまは日本語で親族と連絡を取るのが難しく、徳弘先生が鹿児島の親族に電話をされました。さらに私が訪問して召天の経緯や写真を渡すことになりました。その29日に車を1時間ほど走らせて、親族の家に到着しました。88歳の叔母、従妹、そのご主人の3名にお会いして、託されたものを手渡して2時間ほど話してきました。初対面の方々なのに、心開かれる会話ができました。

 召天された男性と娘さんは、鹿児島に来られたことがあるそうで、その時に撮影した写真が飾ってありました。叔母様はずいぶん気にかけておられた様子で、連絡がないことに腹を立てていらっしゃいました。この度遺された奥様が鹿児島と連絡を取りたいと望まれ、徳弘先生と私の連携プレイによって、サンパウロと鹿児島の絆が取り戻せました。殊に気にかけていらした叔母様は、召天の知らせでしたが、ほっと安堵されたようでした。叔母様に甥御さんを、許してあげてくださいとお願いしました。なおこの日の夕方、徳弘先生が依頼された本教会経由の手紙も、親族に届いたと後から連絡がありました。

 話はそれで終わりませんでした。お会いした従妹の弟さんから電子メールが、徳弘先生に届けられました。また、次の日曜日12月2日鹿児島教会の礼拝に、お会いした従妹とその妹さんが出席され、感謝献金をいただきました。地球の裏側になるブラジルと日本で、両国の時差は12時間あります。徳弘先生の配慮によってつながりました。12月2日にサンパウロで初7日の記念会を予定され、親族から返信を期待されていました。遺された奥様が、たいへん喜ばれたと伺いました。主が取り持ってくださった親族のつながり、そのお手伝いができて私もとてもうれしく思いました。