「60年見守ってくださった方」


「60年見守ってくださった方」 小山 茂

 福山ハルヨ姉というひとりのキリスト者を語らせてください。12月9日午後、福山ハルヨ姉が天に召されたと妻から知らせがありました。阿久根での礼拝を終えて帰宅して、ホッとしてくつろいでいました。もしこの方と出会っていなければ、私はキリスト者になっていませんし、まして牧師とされていませんでした。4年前から東京老人ホームに入居され、105歳と9カ月のご生涯でした。幼稚園の時から60年間、私を見守ってくださいました。25年前に天に召された福山猛牧師と福山ハルヨ夫人(皆さんこの呼び名をされていました)、このお二人の存在が私にとってどれほど大切な方であったか、改めて振り返えらせてください。

 私の通った近所の幼稚園は、東京品川にありました五反田ルーテル教会でした。我が家は当時第二京浜国道と呼ばれる広い通りに面して、食料品の小売をしていました。食事や弁当のおかずなどは、私の家でほぼ揃うような店でした。ですから、福山夫人も五反田駅からルーテル教会の途中にある店に、よく寄ってくださいました。福山夫人をこの9月に訪ねた折、「家の前で、よく三輪車で遊んでいたわね」と言われました。家の前は広い歩道があり、両親が店番をしている前で、私はよく三輪車で遊んでいました。我が家は私が小学校2年の時、東京西部に引っ越しました。そんな訳で私はルーテル教会から離れ、ご夫妻とは年賀状や暑中見舞いの往復だけになりました。私はよく版画の年賀状を手作りし、その印象から皆さんが私を憶えてくれました。

 福山猛先生が牧師を引退され、東京老人ホームに用事で来られる途中、武蔵野市の我が家に寄ってくださったことがありました。久しぶりにお会いする先生は、昭和天皇に似た雰囲気をお持ちでした。幼稚園時代の先生は、サンタクロース姿の写真が私のアルバムに残されています。しかし、幼稚園児の私と先生は、かなり年が離れており、話した記憶は余りありません。そして、私が30歳を過ぎた時人生に躓いて、自らの心を開けなくなりました。そんな折、教会に来ませんかと勧められて、武蔵野教会の礼拝に行くようになりました。

 教会の皆さまに温かく迎えられ、少しずつ心を開けるようになり、35歳のイースターに受洗をしました。教会がきっかけとなり紹介された妻と知り合い、37歳で結婚しました。賀来周一先生に司式を、福山猛先生に説教を創世記から力強いメッセージをしていただきました。猛先生はたいへん筆まめな方で、山から便りを出すと返信をくださり、年賀状には和歌が載っていました。その先生も25年前に召天された後、福山ハルヨ姉との交わりが始まりました。猛先生の後を引き継ぐかのように、我が家の歩みをじっと見守ってくださいました。子どもの誕生日、進入学など憶えていてくださり、カードと心のこもったプレゼントをいただきました。初めての子を授かった時、新生児室まで見に来られて、とても喜んでくださいました。我が家の二人の子ども〔24歳の息子と22歳の娘〕は、「福山のおばあちゃん」と呼んでいました。

 私が53歳の時27年間勤めた職場から、リストラされて突然解雇されました。それが私の躓きとなり、なかなか立ち直ることができませんでした。半年の間悩んで、私が神学校に行くと決めた折、福山夫人はずいぶんと心配されたそうです。私には直接いわれないで、どなたかに漏らされたそうです。6年かけて神学校を卒業し按手を受けて、老人ホームにお邪魔して、最初に聖餐をご一緒したのが福山夫人でした。とても喜ばれたお顔をされ、今でもよく覚えています。

鹿児島に牧師として赴任し、毎月送る月報を楽しみにされ、自宅に戻る時は老人ホームを訪れました。最後に訪ねたのは9月中旬でした。11時半に行きましたら既に昼食中で、部屋で待ってほしいと言われました。終わるまで待ってから2時間ほど話しました。少し耳が遠くなられ、ホワイトボードで筆談をしました。一緒に讃美歌を歌い、子どもたちの近況を伝え、そろそろ失礼します、と申し上げました。最後に手を握るとなかなか離してくれず、また来ますからといいました。お名残惜しそうに何度もじっと私を見て、送り出してくれました。

召天される数日前に妻が娘を連れて訪ねた折、お会いできたのは何よりでした。3週間前から食事をされず、アイスクリームを口にされていると伺い、気になっていました。福山夫人の一生は、主に委ねたキリスト者の生き方と思います。何度も骨折をされたり、肺炎で入院されたり、その度ごとに病院から戻られ、命の恵みをいただいていると思います。また、好奇心が強く、前向きで、委ねるがゆえの楽観的になれる方でいらっしゃいました。お茶がたいへんお好きで、誕生日、敬老の日など、差し上げていました。老人ホームに入られてから、差し上げられなくなっていました。ある時介護士さんに、特別にお茶を贈りたいのですが、と相談しましたら、承諾をいただきました。それから鹿児島茶を差し上げるようになりました。

 福山猛先生、ハルヨ夫人との交わりは、さまざまな形で広がりました。御長女の尚美姉は、幼稚園で私の担任でした。折に触れてご夫妻の5人のお子様方ともお会いしました。神学校の教会実習で訪れた藤が丘教会では、お孫さんの内藤裕幸兄がいらっしゃいました。私が教会に戻れたのは、福山猛先生が筆まめだったからで、私もそのようになりたいと念願しています。もうお茶や月報を送ったり、ホームを訪ねたり、する必要がないと思うととても寂しい気がします。どうぞ天の国から、猛先生と御一緒に私たちを見守ってください。そして、いつか再会できることを楽しみにしています。

 たいへん個人的なことを書いて恐縮ですが、こんなキリスト者にされたいと思いながら、これまで交わりに迎えてもらいました。福山猛先生とハルヨ夫人、そんな素敵なご夫妻が、ルーテル教会の信徒としていらっしゃったことを知っていただきたく、文章にいたしました。

このブログの人気の投稿

復活後第五主日礼拝