2014年4月2日水曜日

「小寒、大寒、余寒」


                                                                                          小山 茂 

 明けまして、おめでとうございます。今年の寒の入りは1月5日小寒に始まり、1月20日大寒、2月4日立春を過ぎても残る寒さを余寒というそうです。今冬は偏西風が南九州にまで蛇行し、北風がことのほか冷たく、寒い日が続いています。若い頃冬になるとスキーやハイキングに出かけ、寒さには強いと思っていました。しかし、今年は例年と全く違って、達磨のように厚着をしています。朝早く起きるのが難しく、布団の中に長居をしています。体が縮こまっているので、体操をしてトレッチをしています。 

東京に帰省しましたら、正月らしく千両が赤い実を見事につけていました。ご近所に寒桜が咲くお宅があり、小さな花をつけていました。でも、花びらは皺々で、正月にやっと咲いている姿は健気でした。帰鹿すると教会の庭に、寒咲き日本水仙が花を咲かせていました。ことに日本水仙の清楚な香が好きです。また柊(ひいらぎ)が棘の葉の枝元に細かな花を一杯つけて、爽やかで刺激的な香りを放っています。鹿児島にも寒牡丹が咲いたと聞き、島津のお殿様の庭園「仙厳園」に行きました。本来2月頃に咲くものを、正月に咲くように育てたものです。藁で作った雪囲いを三角屋根にして、白・赤・ピンクなど、少し小ぶりですがあでやかに咲いていました。最終ページに撮影した写真を載せましたので、ご覧ください。 

 そして、雪の便りも聞こえてきます。私の田舎は新潟県の高田〔今は上越市〕で、「この下に高田あり」といわれるほど、里雪の多い所として知られていました。雁木(がんぎ)と呼ばれる、家の軒を通りに向けて伸ばし、雪が積もってもその下を行き来できる、昔のアーケードが残っています。母の実家の古い家は、二階廊下の突き当たりに冬用の入口があったそうです。雪の重みに耐えるよう一階の窓は雪囲いがされ、出入口も塞がれるからです。また高田には「日本スキー発祥の地」という碑があります。オーストリアのレルヒ小佐がこの地に来て、初めて一本杖スキーを披露しました。母は女学校の体育の授業で、碑の建てられた金谷山に行き袴姿でスキーをしたそうです。雪の苦労を知る故、祖父は静岡県の清水に住みたいと言っていました。今年は例年になく多い雪で、北日本に住む方々はご苦労されています。私にとっての雪は楽しみでしたが、雪国の方々にとっては暮らしを妨げる雪です。溶けてしまえばただの水ですが、大雪に苦労される人々に、主からの助けがありますように。
 
 
鹿児島にある島津の別邸「仙厳園の寒牡丹」の写真です。12月30日から1月5日展示 
                    
 
 
顕現主日 201415日 「星が導く希望を掴め」
          マタイ福音書2:1~12                        小山 茂

《新年おめでとう》
 新年明けまして、おめでとうございます。穏やかな天気に恵まれた正月を、皆さま過ごされたことと思います。久しぶりに家族が集まったり、親戚の方々の訪問を受けたり、正月に心が新たにされることはいいものです。ルーテル教会ではもう一つ、正月の礼拝で教会讃美歌49番を欠かせません。ルーテル教会のオリジナルの讃美歌で、教団の讃美歌21にも載せられ、正月にふさわしい讃美歌として広く用いられています。作詞:江口武憲先生、作曲:山田実先生によるものです。先ほども歌っていて、新しい年を迎えた喜びを実感できました。殊に一節にある歌詞「無き者をあるがごとくに」とは、神の前に無いに等しいようなこの私を、ある者として認めてくださる神、その神を讃えて新しい歌を歌いました。 

正月には、友人や知人と年賀状を交換して、近況報告を伝えあうのも嬉しいことです。多くの方々とは年一回の便りであり、お互いに頑張って生きていると確認できます。ただ、毎年暮れになると、年賀状を出しませんと断わりをいただく方もいらっしゃいます。その方々に、主の慰めが豊かにありますように祈らずにはおられません。そして、年賀状を出せる幸いを、改めて感謝しております。 

《顕現主日》
 16日の顕現日に最も近い日曜日を、顕現主日と呼びます。顕現主日の福音の日課は、マタイ2章冒頭の「占星術の学者たちの訪れ」と毎年決まっています。顕現は、神あるいは神々の現れから、王の誕生や訪れをも意味します。それが、キリストの誕生・洗礼・東方の博士の訪問にまで及んでいます。それゆえに、今朝の聖壇・説教壇・朗読壇の典礼色は、主の顕現を表す「白」です。それは神が現われてくださる色です。24日のイブ礼拝、29日の降誕後主日、今日1月5日の顕現主日、そして来週の主の洗礼日、何れも典礼色は白です。神が私たちの前にお姿を現された、顕現がどのように知らされたか、そこが聖書の語るポイントになります。エルサレムにある教会や、東方教会ではいまでも1月6日をクリスマスとしているところがあります。そんなところから、教会は顕現日までクリスマス・ツリーを飾っています。 

 幼子イエス・キリストの生誕物語は、イブ礼拝のルカ福音書では、天使から告げられた「飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」を、羊飼いたちが探し当てました。今朝のマタイ福音書は、星が先だって東方から来た占星術の学者たちを、幼子のいる場所に案内しました。ルカは地域の羊飼いが、マタイは遠くから来た異邦人が、救い主を見つけました。しかし、マルコとヨハネ福音書には、幼子の誕生物語が記されていません。 

マタイの語るポイントは、誕生物語に異邦人が登場し、彼らが幼子イエスを礼拝することです。しかも、彼らが出発したのは、おそらくペルシア・メソポタミアであり、直線距離にして約1000㎞、途中砂漠や山もあり、しかも星に導かれるなら夜に旅をしたと思われます。イエス・キリスト誕生の立会人に選ばれたのが、彼ら占星術の学者たちでした。そのことから、キリスト教が異邦人世界へ目を向け、世界宣教を目指していたのではないか、そう思えてきます。そして、その占星術の学者たちがユダヤ人ではなく、異邦人であって、幼子イエスにひれ伏したと聖書は告げます。 

《導く星が見える》
 幼子イエスの誕生の頃、ユダヤはヘロデ大王の統治のもとにあり、紀元前37年から紀元前4年の33年間に及びました。その当時は、かつての日本のように高度経済成長による繁栄を誇り、古代イスラエルの最後の栄華の時代でした。今でもパレスチナに残る遺跡は、ほとんどがヘロデ王の時代に建造されたものでした。経済的な繁栄の中、ローマの平和のもと、特に大きな戦争もなく、表面的には落ち着いていました。しかし、表向きの繁栄と裏腹に、精神的・宗教的には満たされず、人々は豊かではありませんでした。 

 占星術の学者たちを導いたのは奇跡の星であり、救い主との出会いを求める者だけに見える星だったのでしょう。地元のユダヤ人ではなく、異邦人である彼らが最初に救い主を見つけました。政治的代表者=ヘロデ、宗教代表者=祭司長や律法学者たち、一般のエルサレムの人々は、社会の安定のみに拘りがありました。占星術の学者たちから救い主誕生の地を問われ、ヘロデから尋ねられ他人事のように、宗教指導者は預言者の言葉を引用しました。彼らには救い主を示す星が見えなかったのか、いや見ようとしなかったのです。 

《旧約の預言の成就》
 祭司長や律法学者たちが答えに引用した、旧約のミカ書5:1が語ります。「エフラタのベツレヘムよ、お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために、イスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。」これは王の誕生を預言していました。来るべき世界の王となるイエス、それに対して、とりあえずのユダヤ人の王ヘロデ、当時二人の王がいた訳です。いってみれば、生まれたばかりの王とヘロデ王の戦いの始まりです。それは、エジプト王ファラオと幼子モーセの戦いを思い起こします。

《受難物語の合図》
 占星術の学者たちが、幼子イエスに献げた贈物の中に、没薬がありました。それは、救い主の誕生と共に、十字架による死を暗示するものでした。ヨハネ19章にニコデモが、主イエス遺体の埋葬準備に没薬と沈香を持って来たことを、思い起こします。幼子イエスは生まれた時から、真の「ユダヤ人の王」であり、十字架に向かって歩まれる一歩を踏み出されています。ヘロデと人々が肝を潰す『ユダヤ人の王』という称号を、誕生物語から30年経って受難物語になって、マタイ27章で次のように再び語られます。 

①総督ポンテオ・ピラトが逮捕された主イエスに、『お前がユダヤ人の王なのか』《27:11》と尋問しました。
②兵士たちは主イエスに茨の冠を頭に載せ、右手に葦の棒を持たせ、その前にひざまずき、『ユダヤ人の王、万歳』《27:37》と言って侮辱しました。さらに、主イエスの頭の上に次の罪状書きを掲げました、『これはユダヤ人の王イエスである』《27:42》と。

 このようにマタイ福音書は、幼子の誕生物語の中から、受難物語
中で起きる出来事の合図を与えていました。誕生物語の後に来る
難物語を知らないで、真の「ユダヤ人の王」を知ることができま
ん。なぜなら、受難物語の次に復活物語があるからです。主イエ
が復活されなければ、私たちの救いはなかったことになるからで
す。 

《希望の星を掴め》
 今朝の福音では、星の導きによってエルサレムにやって来た、占
星術の学者たちが、新たに生まれた王を拝みました。その方は『ユ
ダヤ人の王』であり、人々を罪から赦すために、十字架に向かって
歩まれる王です。人を生かす王に出会った彼らは、人を殺す王のも
とに戻らず、別の道を通って帰途につきました。彼らは救い主と出
会いたいと願う、私たち異邦人の代表であり、その最後尾に連なる
私たちの希望でもあります。このように、輝く星が幼子へのアプロ
ーチを示されました。先行きが見えない現代の不安を抱えて、私た
ちが何に信頼をして歩んで行けばいいのか、星が導く希望をしっか
りと掴んで、主の御後に従って生きたいと心新たにしています。

《祈り》
 恵み深い主よ、新しい年の初めての礼拝を守れ、心から感謝をいたします。私たち異邦人の代表である、星に導かれて占星術の学者たちが、東方から遠い旅をして幼子に会い、幼子を主として拝みました。私たちにも主を知る信仰を与えてください。主に委ねられる信仰を育ててください。主を賛美する歌を歌わせてください。主を知らない人々に、知らせることができますように。この祈りを主イエス・キリストの御名によって、御前にお捧げをいたします。
                          アーメン
 
〔2014年1月5日 鹿児島教会にて説教〕