「小寒、大寒、余寒」


                                                                                          小山 茂 

 明けまして、おめでとうございます。今年の寒の入りは1月5日小寒に始まり、1月20日大寒、2月4日立春を過ぎても残る寒さを余寒というそうです。今冬は偏西風が南九州にまで蛇行し、北風がことのほか冷たく、寒い日が続いています。若い頃冬になるとスキーやハイキングに出かけ、寒さには強いと思っていました。しかし、今年は例年と全く違って、達磨のように厚着をしています。朝早く起きるのが難しく、布団の中に長居をしています。体が縮こまっているので、体操をしてトレッチをしています。 

東京に帰省しましたら、正月らしく千両が赤い実を見事につけていました。ご近所に寒桜が咲くお宅があり、小さな花をつけていました。でも、花びらは皺々で、正月にやっと咲いている姿は健気でした。帰鹿すると教会の庭に、寒咲き日本水仙が花を咲かせていました。ことに日本水仙の清楚な香が好きです。また柊(ひいらぎ)が棘の葉の枝元に細かな花を一杯つけて、爽やかで刺激的な香りを放っています。鹿児島にも寒牡丹が咲いたと聞き、島津のお殿様の庭園「仙厳園」に行きました。本来2月頃に咲くものを、正月に咲くように育てたものです。藁で作った雪囲いを三角屋根にして、白・赤・ピンクなど、少し小ぶりですがあでやかに咲いていました。最終ページに撮影した写真を載せましたので、ご覧ください。 

 そして、雪の便りも聞こえてきます。私の田舎は新潟県の高田〔今は上越市〕で、「この下に高田あり」といわれるほど、里雪の多い所として知られていました。雁木(がんぎ)と呼ばれる、家の軒を通りに向けて伸ばし、雪が積もってもその下を行き来できる、昔のアーケードが残っています。母の実家の古い家は、二階廊下の突き当たりに冬用の入口があったそうです。雪の重みに耐えるよう一階の窓は雪囲いがされ、出入口も塞がれるからです。また高田には「日本スキー発祥の地」という碑があります。オーストリアのレルヒ小佐がこの地に来て、初めて一本杖スキーを披露しました。母は女学校の体育の授業で、碑の建てられた金谷山に行き袴姿でスキーをしたそうです。雪の苦労を知る故、祖父は静岡県の清水に住みたいと言っていました。今年は例年になく多い雪で、北日本に住む方々はご苦労されています。私にとっての雪は楽しみでしたが、雪国の方々にとっては暮らしを妨げる雪です。溶けてしまえばただの水ですが、大雪に苦労される人々に、主からの助けがありますように。
 
 
鹿児島にある島津の別邸「仙厳園の寒牡丹」の写真です。12月30日から1月5日展示 
                    
 
 

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