新しいものが生まれると

クレヨン牧師のミニエッセイ
『新しいものが生れると』
 もう20年も前、本教会総会のために東京へ行った時のことです。久し振りの東京はなんだか気ぜわしく、地方と比べればよくここに住んでいたものだと感心しました。
 
  東京といえば、いつも何かが動いているところです。20年前の東京でも新しいものをいくつか発見いたしました。その一つに「信号待ち時間標識」がありました。いまはどこにでもありますが、歩行者用信号の横に目盛りが十ある標識があって、段々少なくなっていき、全部消えたら信号が変わるというものです。まあ便利といえば便利ですが、なんだか複雑です。 始めてみたときはびっくりしました。
 
 「待つこと」が出来なくなるのではと思うからです。待つことの大切さはいうまでもありません。そこまで表示しなければイライラしてくるということはどうでしょうか。聖書では待つこと、また耐え忍ぶことがいわれています。耐え忍ぶ機会が少なくなってきているような感じがしたのです。
 
 人間のための新しいものが生れていくたび、神様が与えてくださったものが忘れ去られていく気がするのは私だけでしょうか。そのうち神様さえも・・・。 

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