なんでもよかれ

クレヨン牧師のミニエッセイ
 
『なんでもよかれ』
 一休禅師の逸話に次のようなものがあります。
 
 「言葉にこだわる人がいました。なんでも四がつくことが大嫌いでした。四は死につながるからでしょうか。そうこうしているうちに、だんだん四を見るのも聞くのもいやになり、四の物をかたっぱしから排除しはじめました。四つあるものは縁起がわるいといって捨ててしまうのです。それをみた息子が一休さんになんとかならないかと相談します。一休さんは、『いいことがある。四匹のカレイを買ってお帰りなさい』といいました。息子は一休さんにいわれた通りして帰りますと、父親はかんかんに怒ってしまいました。今度は息子が一休さんのところへどなり込んできました。しかし一休さんは静かに、そして落ち着いて、その父親のところへ出向き、『なんでもよかれい(四カレイ)と思っていたしましたのに」と言ったそうです。それ以後その父親は四について何も言わなくなりました」。自分を縛るものがあるとすれば、それは自分自身です。イエス様はその縛られた私をほどいてくださるのです。

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