水盛り

クレヨン牧師のミニエッセイ
『水盛り』 
 こんな話を聞きました。
 
 「ある会合で、仲間がめいめいお酒を一本づつ持ち寄って、酒盛りの宴を開くことになりました。しかし、『どうせ大勢で酒を持ち寄って、それを交ぜて飲むのだから自分一人くらい酒ではなく水を持っていってもわかりはしまい』と考えて一升瓶に水をつめていったそうです。さて宴会がはじまり、めいめいの酒を集めておおきな釜に入れ、おかんをし、乾杯となりました。ところが一同顔をしかめてしまいました。それはただのぬるま湯だったのです。つまりみんなが水を持ってきた水盛りになったそうです」よく、自分一人くらいと考えてしまいます。しかし、自分一人が多く集まると大勢になるのです。
 
 どうせそのような流れに飲み込まれるのなら、自分一人は神様の流れに飲み込まれたいと思います。「自分こそは神様の流れの中にいる」といえるようになったら、わたしの信仰も本物になった時でしょう。

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