なくしたものをみつける

クレヨン牧師のミニエッセイ

『なくしたものをみつける』

 良寛さんの逸話に次のようなものがあります。
 
 「ある人がお金を拾った。それがとてもうれしかったという話を、良寛さんは聞いた。『金を拾うのはそんなに楽しいものかな。わしもひとつ試してみよう』と考えて、良寛さんは布施で得た銭をわざと道にすて、そして拾った。少しも楽しくない。『こんなことが、なぜあの男にはうれしかったのだろう』と思いながら、何度も何度も捨てては拾い、拾っては捨てているうちに、ポ~ンと投げた銭が草むらの中へ落ちてしまった。今度はなかなか見つからない。あっちこっち探し回ったあげく、ようやく見つけて拾い出した。するとうれしくてうれしくてたまらない。良寛さんはひとり満足げにつぶやいた。『なるほど金を拾うのは、ほんに楽しいゆかいなものじゃ』と」
 ないものを得ることと、なくしたものを見つけだすことは、どちらも楽しいことです。しかし、神様にとって人間は、勝手にいなくなってしまったものではないでしょうか。だから見つかったときには、神様の国全体に喜びが満ちあふれるのです。「いなくなっていたのに見つかった」(ルカ15:32

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