『身のほどほど』



クレヨン牧師のミニエッセイ

『身のほどほど』

 身のほどほど   平岩弓枝「自分の限界というものを考える年令になってしまった。折にふれて、身分相応とか、身のほど知らずなどという言葉が頭の中を走り回る。そのくせ。自分を制御出来るかというと、そうでもない。
 
 身のほどを知ったほうがいいのか、それとも知らずに過ごせるのが幸せか、それが問題である」 (新潮社『波』19902より転載)新共同訳聖書で創世記から読んでいます。新しい訳で読むのは初めてですが、なかなか考えさせられています。いまアブラハムにイサクを神様が与えられるという場面です。主が老齢のアブラハム・サラに「あなたは男の子を生む」と言われたときに、ふたりは『笑った』と記されています。そんなバカなことが、身のほど知らずと思ったことでしょう。しかし、実際にはイサクが生まれてくるのです。
 
 身のほどを知ることは、自分の人間としての限界を知ることでもあり、それを越えた神様の業を知ることでもあります。身のほどを知ったうえで、神様の無限に信頼したいですね。

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