『見知らぬ痛み』
クレヨン牧師のミニエッセイ
『見知らぬ痛み』
ラジオを聞いていたら、こんな歌が流れてきました。
「見知らぬ痛みが体をあるきだした」
女性歌手が歌っていたのですが、なぜかピンとくるものがあったのです。どこで打ったか分からないが、あとで痛くなることはよくあります。しかし、その歌を聞きながらピンときたのは、私たちがいままで知ることのできなかった痛みが、体のなかで動き始めたと聞こえたのです。
私たちは自分が一番痛いと思っています。しかし自分の痛みだけでなく、となりにいる人の痛みをどれだけ知っているのかといえば、それが家族の一員であっても知ろうとさえしていないのです。
見知らぬ痛みを感じる。これは、自分の痛みを捨てなければできない。もっといえば、自分だけが痛いという考えを改めるということです。今週は受難週です。キリストの痛みがあなたの体に伝わるでしょうか。その痛みはもちろんあなたのためのキリストの痛みです。