2018年4月24日火曜日

「聞いてわかる文章」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「聞いてわかる文章」
 
 西中国地区の聖書日課を、ワープロで作成しています。地区の方々の書かれたものを編集していると、大変勉強になります。与えられた聖書箇所を黙想し、まとめあげ、しかもそれを読む人へ伝わるように編集していく。これだけでも大変な作業をみなさんがしておられるのです。
 
 さて、3月分位を編集していると、たくさんのことに気がつきます。読んでみてスッ~と心に入ってくる文章。何度読んでも引っかかりのある文章。書き手と読み手に決定的な溝がある文章(これは、書き手の中ではつながっているのだが、読み手には唐突なもの)。聖書の解説のみに終始している文章。日課には関係なく証しになっている文章。
 
 私はこれらの文章と付き合いながら、自分の語ってきたこと、書いてきたものはどうだったかと考えています。しかし、その中でこれはという文章に出会うこともあります。その文章はどんなものかと言えば、読んでわかる文章ではなく、聞いてわかる文章です。
 
 「聞け、イスラエル」と神様は言われます。神様の語られることは文章にしても聞いてわかるものだったのです。