2018年5月3日木曜日

「立ち止まりは後退」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「立ち止まりは後退」
 
 M・ルターの「キリスト者の自由」を読んでいます。といっても教会の姉妹のたっての願いで、しぶしぶ読みはじめたというのが本音です。ところが、読む進めていくうちに、ぐんぐん引き寄せられ、今では毎週1回の読書会が待ち遠しい位です。学生時代レポートのために、あんなにいやいや読んでいたのに、教会の生きた場で読むとこれはすごい本だということがわかりました。改めて感動しているところです。
 
 さて、読書会といっても、本を読んで好きなことを話し合うというやり方です。それが楽しいとううか、今のキリスト者は何を忘れているか。この教会に欠けているものは何か。私たちにできることは何か、と話題に事欠きません。
 
 そのルターの言葉で衝撃を受けたのは、「使徒はキリスト者に対し、目覚めよ、と言って、勧めている。なぜなら彼らは目覚めていないならキリスト者ではなく、神の道に立ち止まっていることは後退していることだからである。前進するとは、つまり絶えず新たに開始することである」という言葉です。キリスト者に大切なのは過去ではなく、今どうするかだと言えます。昔はああだったこうだったということは、キリストの前からだんだん後退していることかもしれません。自分に出来ることを何かひとつでも絶えず新たに開始していきたいと思います。
 
 教会の宣教のために祈ることもまた、新たに自分が開始することなのです。