2020年2月24日月曜日

「絶望から希望をみる」

鹿児島ルター君の朝のみ言葉


「絶望から希望をみる」

 ルカ 23:43 はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる

大学生の時フィリピンにいきました。スモーキーマウンテンというゴミの山のスラムにホームステイしました。しかし、そこのクリスチャンたちは決して希望を見失っていませんでした。『絶望までいってしまうと、もうそれ以下はないから、あとは希望しかみえないものだよ。絶望のなかでも希望を見ることができる。十字架の上でもキリストは罪人を救われたのだから』この言葉をフィリピンのクリスチャンから聞いてもう30年。そのとおりだと告白することができるようになりました。

 本日は、イエス様の十字架上での言葉です。ある意味では、絶体絶命のピンチの時でもあります。ゴルゴタの丘には3本の十字架が立てられました。一人は最後までイエス様を罵っています。イエス様をはじめ二人の強盗にとっては、死を直前にひかえた最後の時でもあります。ジタバタしてもはじまらないのです。

 ところがこの箇所はそのような暗い感じはありません。どこかに希望の光りがみえてくるのです。なぜなら、最後の最後で一人の強盗は信仰を告白して救われているからです。しかも、イエス様といっしょに楽園にいるとまでいわれています。確かに死ぬ。しかし、死んでも終りではなく、イエス様を信じているならば、今日、しかもイエス様とともに楽園にいると言われているのです。
カール・バルトの言葉に、「最後から一歩手前の真剣さで真剣に」というのがあります。この言葉は今年の私の目標です。最後までいってしまうと、神様になってしまいます。しょせん私たちは人間なのですから、神様にはなれません。しかし、だからといっていいかげんには生きていけません。最後から一歩手前というところが大切なのです。

2020年2月23日日曜日

気ままな休日・コーエイの300円カレー

水前寺にコーエイという喫茶店があります。
もう30年も前から木曜日はカレーの日です。
いまは300円!この日はカレーしかありません。

2020年2月22日土曜日

大江教会ですが

いよいよ教会の季節は受難節です。
大江教会ですが、聖灰水曜日の礼拝です。
悔い改めをもって、、、

2020年2月21日金曜日

明日は礼拝です


説教者:立野泰博牧師(主任)
22日~28日は礼拝堂工事のため立ち入ることができません。
29日の礼拝から聖なる空間がリニューアルです。
お楽しみに!

2020年2月20日木曜日

「大切なことは何か」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「大切なことは何か」

 教会への相談の内容が、「フリン」から「リコン」へと変わってきました。これは最近の傾向ですが、「もう一度やりなおしたい」から「はやく別れたい」へと変化したことによります。いったい社会はどうなっているのでしょうか。

 ある本でつぎのような話を目にしました。

 「ある日、若い女性が仕事を終え、家に帰ろうと車を運転していました。ことろが、ちょっとした不注意で、前の車に追突してしまったのでした。この車はまだ購入して3日目の新車だったのです。彼女は泣いてしまいました。この事故をどのように夫へ報告すればよいのか・・。 ぶつけられた人は彼女に同情しましたが、お互いの運転免許の番号と登録番号を書かなければなりません。そこで彼女は車検証をだそうと大きな封筒を開けました。すると中から一枚の紙が出て来ました。そこには大きな、男らしい字で次のように書いてありました。『もし、事故にあっても・・・僕が愛しているのは車ではなく、君だということを忘れないで』と書かれてありました」。

 大切なことは何かを見失ったとき、人は間違いを犯します。それが始めのうちはまだ修正可能ですが、最後には決定的な別れとなることもあります。始めの一歩である大切なことは、「相手を思いやる」ことです。主イエスの御言葉「隣人を愛しなさい」もまた同じではないでしょうか。

2020年2月19日水曜日

「神様に求めて」

鹿児島ルター君の朝のみ言葉


「神様に求めて」

ルカ 12:22 イエスは弟子たちに言われた。「だから、言っておく。命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな」。

「思い悩んだって、何もかわらない」とは、被災地のおばあちゃんの言葉です。家も財産も全てなくしたおばあちゃんですが、そのことを思い悩んでもしかたがない。悩むくらいなら新しいことを始めなきゃと言っておられました。そのとき私たちの支援方法も変えなきゃいけないと思ったのです。それまでは共に思い悩むことが支援だと考えていました。しかし本当の支援は、寄り添いながら新しい一歩を踏み出せるために背中をそっと押してあげることではないかと。思い悩むことに入り込むと、この一歩が出ないのです。思い悩みから抜け出す一歩を寄り添いつつ支えるのが支援なのです。イエス様の生き方も同じです。

イエス様は「愚かな金持ちのたとえ」で、貪欲に対する注意を教えられました。その後、このみ言葉を弟子たちに話されました。烏は何も働かず倉などもたないが、神様は養ってくださる。「思い悩むことはない」。これは、神様が私たちを養っておられる。これに気づき、神様に感謝し、「神様を求めなさい」ということです。まず神様を求めることで、思い悩むことはなくなると言われるのです。

イスラエルへいったおり、ガイドの方から「一度、本当の荒野へいきませんか」と誘われました。イスラエルには3種類の荒野があるそうです。1、人間も動物も生きていける荒野。2、動物ならかろうじて生きていける荒野。3、生きていくことを拒絶している、どんな生命でも生きていけない荒野。この3番目の荒野を本当の荒野というそうです。その本当の荒野へ行こうというわけです。さて、その本当の荒野には何があるか、静寂と闇しかないそうです。一晩そこにいると、恐怖と畏れしかなく、人間は涙を流すといいます。音もない光もない、生きているものは自分だけという世界。そこでは神様を求めざるをえないと教えてくれました。聖書は荒野の中の宗教だといいます。神様を求めるほかには何もない世界の中で書かれたといいます。静寂と闇こそが人間を神様へと向かわせるのかもしれません。

イエス様は「ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる」と教えられました。思い悩まない方法は、神様を求めることです。自分のことばかり考えているとそこから抜け出せないものです。しかし神様を求めるとき、すべては与えられていることに気がつきます。イエス様は「ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる」と教えられました。

2020年2月18日火曜日

「ウソが真実を」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「ウソが真実を」

 「ウソの研究」という本に、《ウソをつかなければ見えない真実もある》と題して、次のようなことが書いてありました。

 「グレース・ハルセンというアメリカの白人女性が、おもしろい実験をした。彼女は生粋の白人だが、薬品によって肌を黒く染め、黒人になりすましたのである。目的は人種差別についての社会的分析。彼女は持ち前の行動力と女性特有の細かい観察力とで、人種差別を身をもって体験しようとした」

 このような実験をしたのだそうです。この結果は、「ハンセンが黒人に身をついやしてからまず体験したのは、性的な恐怖であったという。つまり、白人男性が黒人女性に対して、いかに性的に横暴であるかということだった」。この実験の結果わかったことは、「人間は普段いかに平板な現実しか見つめていないことをあらためて思い起こさせてくれました。

 相手の立場に立つことの難しさを思います。私たちは、自分が属している社会的な集団のメガネを通してしか物事を見ることはできません。立場を変えてみれば。まったく違った世界がそこに開けているにもかかわらずです。

 主イエスが「隣人を愛せよ」と言われたとき、その人のおかれている状況までも理解せよと言われたのでしょう。しかし、その人の立場に立ってみると、自分の知らなかった恵みをも得ることがあるのです。