投稿

「木の温もり」

イメージ
クレヨン牧師のミニエッセイ 「木の温もり」    益田教会を訪問しますと、必ず翌日は「美都温泉」に行くことにしています。ここの温泉はとても素晴らしく、露天風呂も大きいし、リラックスにはもってこいです。また、温泉にある食堂も誠実なお店で、ある老牧師の言葉を借りれば「嘘がない」店です。    その温泉には、桧をくり貫いた湯おけと椅子があります。それがとても気に入ってしまいました。受付の人に聞けば、美都町で作られているとのこと。さっそくそこへ出掛けてみることにしたのです。するとそのお店にはたくさんの木の道具がありました。そのすべてが木をくり貫いて作られていたのです。    桧、杉、樫の木、桑の木、樅の木、桜の木、柿の木、銀杏の木と。すべての木でお椀がつくられ、その種類に驚きました。しかもその工芸品はすべて廃材を使ってあるとのことでした。    木には温もりがあります。いま食卓にはいろいろな種類の木のお椀が並んでいます。家族はみな違う種類の木の腕を使っています。なんだか食卓に温もりがあります。    イエス様も大工として、木と付き合っておられたのかなと思いつつ、感謝して食事をしています。

「それはただの石かも」

イメージ
鹿児島ルター君の朝のみ言葉 「 それはただの石かも 」 ルカ   12:54 あなたがたは、雲が西に出るのを見るとすぐに、「にわか雨になる」と言う。実際そのとおりになる。  ある教会のバザーに、黒い丸いものが出品されました。しかし、それが何であるか誰もわかりませんでした。みんなで、こうじゃないか、ああじゃないかと意見をのべていました。ある人は置物だといい、ある人は何かの蓋でないかと。すると一人の子供がやってきて、その黒いものを取り上げ、「黒い石だ」といったのです。あるがままにみていると、まさしくそれは石でした。ただし何に使うかはいまでもわかりません。バザーって何が出てくるかわからいものです。  イエス様は群衆にむかって一つの問いかけをされました。群衆は、イエス様のみ言葉を聞き、奇跡の業を見てきました。それがあるということは、神様の国が到来しているということです。しかし、それを群衆は見分けることができませんでした。自然現象は見分けることができるのにと言われたのです。「実際そのとおりになる」という言葉から、「なぜ」という問いかけが浮かび上がってきます。わたしたちは見分ける目を持たねばならないのですが、それが一番難しいといえます。イエス様のみ言葉を基準にしなければできないことです。 道元が宗の国に留学して、如浄から禅を学んで帰ってきました。京都深草に興聖寺を建て修行に励んでいると、近所の人が集まってきます。その人たちは、「和尚さんは宗の国で大変よいことを学んで来られたそうですが、私たちにもその奥義を知らせてください」と頼みました。すると道元は「只眼横鼻直なるを知るのみ」と答えたそうです。分かり易くいえば、「いや別に新しいことはない。ただ眼は横に並んでおり、鼻は縦についているということだけだよ」と。ようするに「あるがまま」ということでしょうか。でもこの「あるがまま」ほど難しいものはありません。 よく「あるがままにみる」という言葉を聞きます。たしかに「あるがまま」にみることは大切なことですが、これがとても難しいものです。ある本には以下のように書いてあります。「人は誰しも、自分は客観的だと考え、自分こそ世界をあるがままに見ていると思っている。そして、ほとんどの場合、他人は枝葉末節に埋もれており、自分だけは大所高所から...

夏期聖書学校・阿蘇

イメージ
九州教区の夏期聖書学校です。 涼しい阿蘇で聖書を学びませんか?

大きな木をどうするか?

イメージ
クリスマスツリーをうえたのが50年前 こんなに成長してしまいました。建物に悪影響があるというので どうするかな~という居間です。

アメリカの牧師がやってくる

イメージ
28日礼拝 説教者:Joseph Tallent牧師(アメリカ福音教会) アメリカからゲストを迎えます! 日本語翻訳付きです。

「お客さん信者が」

イメージ
クレヨン牧師のミニエッセイ 「お客さん信者が」    地区の牧師会で、「一つの礼拝が成立するには、約二十種類の奉仕がある。その全部を言えないようでは信者として失格だな」と引退された牧師が言われました。私自身は言えるかと冷や汗ものでした。しかも続けて「その二十種類のうち五つ以上に関わっていなければ、キリスト教をやめたほうがよい」とまで言われました。    礼拝での奉仕についてどのくらい知っているでしょうか。そしてどのくらい関わっているでしょうか。私たちの教会では、奉仕するもしないもその人の信仰の問題だと言ってきました。ですから「しましょう」と言ったことはありません。むしろ自分がやればそれでよいと言う考えだったのです。その方が楽なのです。ところがそれでは、皆さんを神様から遠ざけていることに気がつかされました。    「お客さん信者の多い教会は絶対成長しない」との言葉の重さを感じます。それではどうあるべきか、牧師として悔い改めを迫られています。  

「神のみ言葉は隠れない」

イメージ
鹿児島ルター君の朝のみ言葉 「神のみ言葉は隠れない」 マルコ  4 : 21  隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、人に知られず、公にならないものはない。 P.F. ドラッカーの本に、ギリシャ時代のことが書かれてありました。フェイディアスという彫刻家がいました。かれはパルテノン神殿の彫刻を任された長でした。無事にその仕事を完成させアテネの会計官に請求書をだしました。すると、アテネの会計官は支払いを拒んだのです。「誰にも見えない彫刻の背中の部分まで彫って、請求してくるとはなにごとだ」というのです。するとフェイディアスは次のように答えたのです。「そんなことはない。神々が見ている」と。 今日はイエス様の有名なたとえの一つです。神様の目には、隠されているもので表にでてこないものはないということでしょう。灯は神様の言葉と同じ意味を持っていますので、み言葉はかならず表にでてくるというたとえでもあります。私たちの信仰生活で、神様の目から隠れることもできないし、隠すことのできないのがあります。それはみ言葉です。このみ言葉に照らされながら私たちは生きています。そして、このみ言葉こそが我が足の灯です。だからこそ隠れることも、隠されることもありません。 「サンタクロ-スがすねちゃった」という傑作絵本があります。子供達にとって、サンタクロ-スはクリスマスの楽しみです。この絵本では二人の大人が、「もうごぞんじですか、サンタクロ-スなんていないんですよ」といったことから始まります。そしてなんと次の日の新聞のトップニュ-スが「サンタクロ-スはいない」と書いたから大変です。それを読んだ世界中のサンタクロ-スがすねちゃった。世界サンタ会議まで開いて、今年は何も配らないということになってしまいました。残りはどうぞ絵本で読んでください。私はこの本が大好きです。なぜならこの本の最後にサンタクロ-スがこう言うのです。「目をつぶって見てごらん。サンタクロ-スの姿が見えてきたでしょう。見えるものはちゃんといるんだよね」。あなたはどうですか。目をつぶってみてイエス様が見えますか。見えるお方はいまあなたと共におられるのです。 イエス様は「 隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、人に知られず、公になら...