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「お父さんが変わって」

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クレヨン牧師のミニエッセイ 「お父さんが変わって」    子育ては本当に難しいと思います。親の気分で叱ったり、兄弟喧嘩の仲裁をどうするか。神様に「子育ての方法を教えてください」と祈る毎日です。    先週、華美が愛美をいまにも叩こうとしていました。わけを聞いてみると、愛美が自分では知らないうちに華美の足を踏んだとのこと。どうしたらいいのか。華美はわざとやったと怒っている。愛美は叩かれるのが恐くて泣きそうになっている。いままでなら、華美を怒っていることでしょう。しかし、瞬間に神様に祈ってみました。「神様、どうしたらよいでしょうか」と。すると瞬間に言葉がでてきました。なんと華美に「お父さんの足を踏みなさい。お父さんが変わって足を踏まれてあげるよ」とニコッと笑って相言いました。すると華美は弱い力で踏んでくれました。    神様が教えてくださったことは、どんなことだったのでしょうか。それは十字架の意味かなと思いました。「神様、どうぞこの人の罪に変わって私の手の釘をもっと深くお打ち下さい」とのキリストの声が聞こえてきたような気がしました。    私たちは意識しないで、神様に対して罪をおかしています。そのたびにキリストは身代わりとなって、私たちを守ってくださっているのです。このキリストのために働きたい。

「主の御旨のみが」

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鹿児島ルター君の朝のみ言葉 「主の御旨のみが」 箴言  19:21  人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する。 夏の予定でパニックになったことがあります。なんでも OK,OK と引き受けてしまい、後で予定をみてでビックリ。なんとその年の8月は、教会にいる時間は5日しかなかったのです。たとえば、「ミッション系高校の修養会」の講師。それが終わって「インドネシアのバタック教会宣教九十年大会」でインドネシアへ。「名古屋地区伝道修養会」の講師として招かれ。それだけならまだしも、 AVACO 紙芝居の脚本の執筆、児童説教集「おはなしがいっぱい」の執筆、全国聖書日課執筆と締切がすべて8月でした。計画性のなさからこうなったのかと反省しました。 箴言 19 章も知恵の薦めが続きます。格言集ですから様々な角度からの教えが示されています。この章の冒頭では「唇の曲がった愚か者」という言葉があります。これは語る言葉が曲がっているということで、言葉の中に嘘があるということです。つまり言葉の中に嘘があるのは、誠実でないということです。神様に対して、隣人に対して誠実さをもって、人は生きて行くべきだと言うのです。 ある時「計画は計画であって、その通り実行されるかは別の問題」と言われました。それを聞いたときは「それじゃ計画しても意味がない」と思いました。またある人からは「無計画という計画もある」と聞いたことがあります。それは不誠実だろうと感じました。完璧な計画を作った所で、それが実現するかどうかは誰にもわからないということは理解できます。すべての計画が狂うときや、うまくいかない時があります。そんな時に教えられることは「いまは神様のなさることをみていよう」ということです。 箴言は「人の心には多くの計らいがある」といいます。誰でも多くの計画をもっています。それは人生計画であったり、家族の生き方計画であったり。また金銭の計画、旅行の計画などもあります。もちろん教会も計画をもっています。そこで箴言があえて教えているのは「主の御旨のみが実現する」ということです。自分勝手な計画をいくら立てても実現はしません。それが主の御旨にかなっているかどうかです。どうすれば主の御旨がわかるか。祈りつつ神様のなさることを見ているしかないかもしれません。しかし...

「扉はいつも開かれて」

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クレヨン牧師のミニエッセイ 「扉はいつも開かれて」    礼拝堂にはいつも不思議なものが落ちています。落ちているというのは失礼なのですが、いろいろなものがそこで生命を終わらせているのです。    ある時はトンボが聖卓の上で死んでいました。なんと幸せなトンボだろうと思いましたが、フラフラと入ってきて出るに出られず、そこで命を閉じたのかも知れません。その他、蝿、カトンボ、クモ、ダンゴムシ、カミキリムシ、そして昨日はテントウムシがそこにありました。    この昆虫たちは、いったいどこからやってくるのでしょうか。たぶん礼拝堂の窓や、扉でしょう。するとそこが開かれていることになります。    教会はいつでも開かれている。それは昆虫たちのためだけでなく、多くの人たちのために開かれているのです。最近では教会で教室が行われているときは、礼拝堂の扉を開け「十字架」に光をあてています。たったそれだけのことからでも、主は人々に語りかけてくださるのです。    私たち一人一人もまた、開かれたキリスト者となりたい。

「口答え」

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鹿児島ルター君の朝のみ言葉 「口答え」 箴言  18:13  聞き従う前に口答えをする者、無知と恥は彼のため。 久し振りにデパ-トへいき、多くの人がごった返していました。このような時は迷子が多いとみえて、ある売り場の方が二才位の男の子に話しかけておられました。その会話を聞きながら、さまざまな事を連想しました。さてその会話ですが、売り子さんが「あなたの名前は?」と聞くと、子供はきまって「ウルトラマン」としか言いません。その子供は何を聞いても「ウルトラマン」としか言えなかったのです。困った売り子さんは、「お父さんの名前は?」と聞きました。でもやっぱり「ウルトラマン」なのです。それでは「お母さんの名前は?」と聞いたところすぐに答えました。「うるさい」。多分この子供はお母さんに、ガミガミと言われているのでしょうか。お母さんを一言でいうと「うるさい」に集約できるのは、さみしいことですが。 箴言 18 章は、神様から離反する者に対する忠告からはじまります。神様から離反するとは、自己中心的で周囲から離れて行く者のことです。自己中心的な者、利己的な者が人々の間に争いをもたらすと教えます。集団生活において、自己中心、利己的ということは、神様から離反を意味しています。そこから「口答え」ということが述べられているのです。 ネットで「口答え」を検索していたら次のような記事がありました。「不適切なクレーム対応にお客様がキレた」というものです。それは「野菜が生だ」とクレームを言う客に「いつもこうです」と返答したら、「この店の教育はなってない」と店長を呼びつけて強く叱ったと言う話です。この場合、賢い選択は「指摘のあった料理を作りなおす」ということで、「野菜が生だと」と言っている客は「もっと火を通したものが食べたい」と思っているのだと考える。そしてそれを提供する。ところが、この記事にネットで火がついて「ごね得ニッポン」「過剰サービスに慣れ過ぎ。その負担は自分らバイトにまわってくる」など釈然としない書き込みが多く寄せられたというのです。そちらも一理あるなと思ってしまいました。 箴言は「聞き従う前に口答えをする者」と言っています。まずはその人が何をいっているのか「聞くこと」が大切だと教えています。そして「従う」ということ。この「従う...

牧のうどん

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ふふふ!博多駅で牧のうどん!おやつに最高!新幹線予約時間までに、1時間もあったので。いくしかないでしょ!柔らかい麺と丸天が素晴らしいのです。満足!帰って鹿児島教会の総会資料を完成させます。これで3つ終わる。

鹿児島教会集会室解体・再生

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鹿児島教会の集会所解体ここまできました。天井の崩落が住んでいるときになくて良かったです。こんな状況だったとは。さてさて、次の段階も計画は進んでいます。今年の鹿児島教会は主の恵みを告げる年となるでしょう。礼拝で祈りました!

明日は礼拝です

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説教者:中村朝美牧師(宮崎教会) ぜひどうぞ