『禁止と命令』

クレヨン牧師のミニエッセイ

『禁止と命令』

 青年伝道協議会に出席しました。現代の青年が一番嫌うのは、「禁止」と「命令」みたいです。どうして「禁止」と「命令」が嫌いなのか。それは生れてからずっと、「禁止」と「命令」のなかで育てられたからです。私たちの子育ての多くは、「~しなさい」「だめ」「いけません」の繰り返しです。
 
 教会におりますと、となりの小学校の放送が聞こえてきます。今日もまたいつもと同じ様に、「掃除の時間です。黙って、静かに、一生懸命に掃除をしましょう」と聞こえてきます。ある時など「〇年生、話し声が聞こえる。静かにやりなさい」と聞こえてきました。掃除は楽しくしてはいけないのでしょうか。
 
 宣教百年の青年大会も、彼らには「命令」に聞こえるのでしょうか。「せっかくの機会だから何かやりませんか?」という問い掛けも、「やれっていってることじゃん」として受け取られてしまいます。それでは自分たちでやるのか。やりたくないのか。はっきりしません。これは私たちが子供たちを「禁止」と「命令」でがんじがらめにしてきたからではないでしょうか。教会のなかでさえも。神様の愛は「命令」と「禁止」だけではないのですが。

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