「どこで、どんなふうに」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「どこで、どんなふうに」
 
 神様のなさることは、「いつ」「どこで」「どうなる」のかまったくわかりません。しかもそれは決まって良い方向へと進んでいくのです。
 
 最近、ハッとさせられることがありました。それは、この教会の造りについてです。以前から教会にスロープと障害者用トイレがあることは知っていました。しかし、それを必要とする方がないので、ちょっと無駄なような気持ちがしていたのです。その心の現れでしょうか。スロープの所にはプランターを置いていたのでした。
 
 さて、先週の木曜日から教会の英語教室に一人の少年が来ることになりました。実はその少年は一人ではありません。お母さんと一緒です。少年は車椅子でしか動けない重度の障害者でした。その少年は英語を勉強したいのだが、どの英語教室にいくにも階段がありいけなかったそうです。お母さんの力ではその階段を昇ることができなかったのです。するとある方が、「ルーテル教会にはスロープがあるわよ。たしか英語教室もあり、アメリカ人の先生がていねいに教えてくれる」と教えてくれたそうです。初日、お母さんは感激しておられました。
 
 いつ、どこで、どんなふうに神様が生かしてくださるかわかりません。しかし、神様のなさることは不思議にみえることでも、人知では測り知ることのできない平安と恵があるのです。信頼こそキリスト者の命です。
 

このブログの人気の投稿

復活後第五主日礼拝