『喜〇哀楽』
クレヨン牧師のミニエッセイ
『喜〇哀楽』
人間には喜怒哀楽というものがあります。たしかに赤ちゃんにもあります。泣くことに始まり、そして笑う。おとなの縮図をそこにはみることができます。ところが2ケ月の赤ちゃんには、喜怒哀楽からぬけているものが一つだけあることに気づきました。それは怒りです。赤ちゃんには、私たちが考えるように怒るということがありません。むしろ泣くことによってそれを表現しているのでしょう。
怒るということは、自分中心からくるものです。自分のみがすべてだという人にとっては怒りも多いし、謙虚な人にとっては怒りは少ないものです。しかし怒るべきときには真剣に怒るべきと、イエス様は教えてくださっているようにも思えます。それは自分の我がままのための怒りではないはずです。
『喜〇哀楽』
人間には喜怒哀楽というものがあります。たしかに赤ちゃんにもあります。泣くことに始まり、そして笑う。おとなの縮図をそこにはみることができます。ところが2ケ月の赤ちゃんには、喜怒哀楽からぬけているものが一つだけあることに気づきました。それは怒りです。赤ちゃんには、私たちが考えるように怒るということがありません。むしろ泣くことによってそれを表現しているのでしょう。