台風19号の教訓
クレヨン牧師のミニエッセイ
『台風19号の教訓』
もう30年前、台風19号は、いろいろなことを教えてくれました。特に電気のある生活にいかに頼っていたか身にしみて感じました。教会の前にあるス-パ-では、電池がなくなり、ロ-ソク、カップラ-メン、パンとあらゆるものが売れてしまいました。普段は売れないものまで無くなってしまうありさま。この体験がいかに大切かをしめすものでした。次の日に電気が回復してもその状況は変わらず、「もう電気がついたのに、おろかなものよ人間は」と笑いながら私は何も買いませんでした。ところがその夜に雨が降りだし、電線に付着した塩が溶けだしてまた停電になったのです。電池もなく夜を迎えた私は、「おろかなのは私だった」と苦笑いをしたのです。
電気が来ない夜を、5・6日迎えた方もおられました。こういうとき初めて灯の大切さを思わされるのです。それは生活だけのことではなく、心のなかにも灯が大切だということです。暗いなか何もすることがないので、めったにない親子の会話をした方もおられました。たった一つのロ-ソクの灯を通して心が通い合うこともあるのです。うちの娘は一言。「神様がいれば明るいね」
『台風19号の教訓』
もう30年前、台風19号は、いろいろなことを教えてくれました。特に電気のある生活にいかに頼っていたか身にしみて感じました。教会の前にあるス-パ-では、電池がなくなり、ロ-ソク、カップラ-メン、パンとあらゆるものが売れてしまいました。普段は売れないものまで無くなってしまうありさま。この体験がいかに大切かをしめすものでした。次の日に電気が回復してもその状況は変わらず、「もう電気がついたのに、おろかなものよ人間は」と笑いながら私は何も買いませんでした。ところがその夜に雨が降りだし、電線に付着した塩が溶けだしてまた停電になったのです。電池もなく夜を迎えた私は、「おろかなのは私だった」と苦笑いをしたのです。