「報告書」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「報告書」
 
 今年も教会総会の季節がやってきました。毎年のことではありますが、資料の作成には頭が痛くなってきます。とくに今年の資料作りは気持ちが乗らないばかりか、どうしてもワープロを叩こうという熱意がわき上がってきません。なぜだろうと考えてみました。たぶん、この報告書はいったい誰のために書かれるのか疑問があるからでしょう。
 
 七年目にしてやっと「あれもやった、これもやった」式の報告の無意味さがわかってきました。「これもできなかった、あれもできなかった」のなら、なぜ報告するのか。できなかったことをまず、神様にざんげするしかないと思えます。
 
 一年の歩みはすべて神様が知っておられます。ならば言い訳などできないのが信仰者です。同じ事を繰り返さないための報告書ならば、同じことを繰り返している私たちは、神様にとってどんな存在なのでしょうか。
 
 宣教するしかない。それは主イエス・キリストが私たちに与えてくださった使命です。ここにある六年分の報告書を見ながら、今年はもっと聖霊の働きに参与させていただきたいと願っています。

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