「生かされて人を見る」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「生かされている人を見る」
 
 「信仰の継承」という言葉をよく聞きます。しかし、それがどんなことなのか、どんな信仰を継承するのか疑問に思えることがあります。継承することは大切ですが、信仰の押しつけにならないことを望みます。
 
 我が家の娘たちも自分の言葉で祈るようになりました。少し祈り方を教えましたが、あとは自由に祈ることを黙認してきました。聞いていて首をかしげるものもありましたが、その一生懸命さに感激しています。そんな娘たちも、最近は驚くべき祈りをします。先日もこのように祈ってました。
 
 愛美「神様、この食事を感謝します。食べれない人も祝福してください。○○ちゃんが風邪をひきました。癒してください。アーメン」。
 
 華美「神様、この食事をおいしく食べられるようにしてください。今週礼拝にこれなかった人も祝福してください。病気の人も祝福して、なおしてください。イエス様によって祈ります。アーメン」。
 
 きっと、教会でどなたかが祈っているのを聞いていたのでしょう。そしてその祈りを覚えたのだと思います。「祈りなさい」と教え込むのではなく、祈ることの素晴らしさを感じとってほしいものです。娘たちがこれからどんなことを継承してゆくのでしょうか。しかし、大切なことは子どもたちがどんな大人たちの背中を見ていくかです。その点、教会に集う子どもたちは幸せです。キリストに生かされている大人たちをみることができるからです。
 

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