「信頼の欠如かな」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「信頼の欠如かな」
 
 KRYラジオの「宇宙船かたつむり発進」に、ゲストコメンテーターとして出演させていただきました。といっても、ラジオ局からの放送でなく、ザ・モール周南のサテライトスタジオからの公開生放送でした。テレビには何回か出演(なんと役者としてセリフもあったんです)したことはありますが、ラジオの生放送は初めてでした。結構多くの方が聞いてくださったようで、どこへいっても、ラジオに出てましたねと言われてしまいます。
 
 さて、この番組では、アナウンサーとのトークが主体でした。ですから、いろいろと聞かれたわけです。まあ、クリスマスのことが多かったのですが、「キリストは一番弱く、さみしいところにお生まれになった」と話したときでした。アナウンサーの方がすかさず「牧師さんはいじめについてどう思われますか」と聞かれたのです。いきなりの質問で絶句してしまいました。どのように答えればよいのか、瞬間に必死でいのりました。
 
 すると突然に自分の口が動いたのです。「信頼の欠如でしょうね」と。苦しみ痛みを受けとめてあげられる「信頼の場」がない。いじめている子はそのことに走らざるをえない心の苦しみを出せる「信頼の場」がない。いじめにあって苦しんでいる子にはそれをあるがままにだせる「信頼の場」がないと思うのです。
 
 キリストも痛み苦しみを人から受けられました。しかし、そこでキリストはあくまでも父なる神を信頼し従われたのです。そして父なる神もまたそれを受けとめておられたのです。信頼して生きることができればどんなに幸せでしょうか。

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