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『アンパンマンのアイス』

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クレヨン牧師のミニエッセイ 『アンパンマンのアイス』  長女が二才半の時でした。ものごとをどのくらい理解出来るのか不思議に思うことがあります。     ある日 のことでした。アイスクリ-ムが好きなので、その日は朝から「アンパンマンのアイス」と訴えていました。私は華美が風邪をひいていることだし、与えないことにしたのです。ところが諦めず何回も何回も「アンパンマンのアイス」が食べたいと言います。そのつど「ダメ~」の繰り返しでした。誰に似たのかガンコな長女はよる十時まで「アンパンマンのアイス」というのです。いいかげん頭にきて、「そんなに欲しかったら、自分で買いにいきなさい」というと、すんなり「は~い」といって家を出ていきました。どうせ外は雨が降っているし、すぐに泣いて帰ってくるだろうとこっそり影からみていますと、傘をとり、長靴を履いて暗いなかとぼとぼと外へ出ていってしまいました。しかも道路へでて右へいこうか左へいこうかとキョロキョロしています。その後ろ姿を見たとき、おこがましいですが神様の眼がすこしわかったのです。神様も私のことを親の眼で見ていて、手を差し伸べて下さるのだと。     それから私はコンビニに走ったのでした。アイスを買いに。

「種から育つ」

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  鹿児島ルター君の朝のみ言葉 「種から育つ」 1ペトロ 1:23   あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。 ある牧師さんから秋だというのでプレゼントされたものがあります。それは植物の種です。つばき、せんりょう、あけび、かりん、その他。なんとこれは東京の教会のベランダでとれたものだそうです。それらの木を大切に育てておられました。しかし、もっと驚いたことは、これらの木は誰が植えたのでもなく、鳥が運んできた種が木になったということです。神様の命を誰かが受け継いでくれるのですね。しかも、その木が都会に潤いを与えているのです。宣教の種蒔きも同じかもしれません。根気よく、あせらず、こがらず。きっと花咲く時がくることを信じていたいものです。 ペトロの名がついた手紙は2つあります。本日の箇所は「聖なる生活をしよう」という表題がついています。「いつでも心を引き締め」「身を慎んで」と。しかも「生活のすべての面で聖なる者となるように」と教えます。そのような生活がいまの私にできるかどうか。ペトロはできるという確信のもとに教えられています。それは「朽ちない種」「神の生きた言葉によって」私たちの「いま」があるからです。 ある幼稚園を訪問しました。園長先生の交代とともに、教育方針の改革をおこなったことを知っていました。その改革とは、園庭を自然に戻したのです。もともと森の中にあった土地を開墾して広場をつくったのですが、その運動場に再び木を植えて森にし、森の中の幼稚園にされたのです。子どもたちが森の中で遊んでいる様子が新鮮でした。その園長先生から不思議な話をききました。種から植えて育てた木と、植林した木では育ち方や力強さがちがう。種から育った木は「育つ力があり元気」、植林した木は「順応するために力をつかうから育ちが悪い」と。種から育つことの意味を教えられました。 ペトロも「種」を問題としています。この「種」は朽ちないもので「神の変わることのない生きた言葉」によると言うのです。私たちにはこの「種」が与えられています。この種に力があることを受けとめでいきてまいりましょう。

『創意工夫・忍耐・努力』

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クレヨン牧師のミニエッセイ 『創意工夫・忍耐・努力』  今年の西教区牧師退修会のテ-マは、「総合宣教方策」でした。簡単にいえば伝道の不振をどう建て直しするかということです。しかし具体的なことは何一つ出てきませんでした。そのような中で、ある引退が近い先生の言葉には迫力がありました。     その先生が言われるには、「引退するころになって伝道についてわかったことがある。伝道に必要なことは次の三つだと確信している。それは『創意工夫』『忍耐』『努力』である」。目標を決め、それについて創意工夫し、そのためには忍耐しつつ努力する。ある意味では簡単そうにみえますが、余程意志が強くなければ続かないことです。     私たちの教会も礼拝堂の席がまず五十席うまるように、『創意工夫・忍耐・努力』していきたいと思います。

「今日何を行う」

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鹿児島ルター君の朝のみ言葉 「今日何を行う」 1コリント 15:10 神の恵みによって今日のわたしがあるのです。 伝道セミナーに参加して、一番の収穫は私自身の宣教に対する「悔い改め」でした。宣教・伝道は牧師がするものという考えがあります。また計画やプランも伝道のプロである牧師が立てるものだという考えがあります。私もそのように考えてきました。しかし、「教会の宣教ビジョンは、信徒に与えられる」ということをいつも学びました。この教会をどのような教会にしたいかというビジョンは、神様からこの教会の信徒に与えられるのです。30人位の家庭的な教会でよい、というビジョンならそうなります。100人礼拝を目指すというビジョンなら、そのために何をするのかを出し合うことが必要です。牧師はその案をいかに実現できるかを祈り求めていく存在なのです。先の夢にむかって今があることを考えてみたいと思います。 パウロは神様の教会を迫害したにもかかわらず、その彼が使徒となったのは「復活の主」との出会いによります。その出会いが恵みであり、神様によって「今」があるというのです。過去でも未来でもなく、「今在る者」として他の弟子たちより多く働いたと言っています。 ある本の中で次のような1節を見つけました。「プランニングにおいて重要なことは、明日何かを行うかを考えることではない。明日のために今日何を行うかを考えることである」。仕事にしろ、人生にしろ、いろんな計画を立てながら生きています。多くは明日何をするかを考えています。しかし、目標が何であり、なぜ自分は生かされているかを知ることによって、その明日のために「今日」何をするかが大切なのです。 パウロは神様から大きな恵みを受け、罪赦された者となりました。その時、異邦人への福音宣教というプランを与えられました。そのプランの実現のために「今日」何を行うべきか、「今日」あるべき姿を示すのです。自分の明日のために「今日何を行う」べきであるかを考えながら過ごしていきましょう。

礼拝はどなたでも

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きままな休日・ジャーマンポテト

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これって好きです。 ドイツのビールに絶対合うと思います。 いやいや日本のビールにも合います。 じゃがいもとベーコンさらにチーズなんですから。

オルガンCD「ねがい」

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