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礼拝後のカフェは美味しい

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礼拝後のカフェの様子です。 参加者は思い思いにテーブルを囲みます。 ヘルシーな美味しいものが出ますよ。 これも楽しみです。

明日は礼拝です。

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説教者:立野泰博牧師(主任牧師) お待ちしています。

「本当の子育て」

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クレヨン牧師のミニエッセイ 「本当の子育て」    親というものは、自分の子供に対しては冷静になれないものだ、とつくづく感じます。冷静に接しているように思えても、親としての愛が積もり積もってエスカレートしていくと、怒鳴ったり叩いたりです。    一年生の華美が、いま足し算の勉強をしています。問題はいたって簡単なものです。「5は□と2です」。さて□にはどんな数字をいれるかというものです。親にとっては簡単なのは当たり前です。しかも、それが簡単にできるように勉強するのが一年生です。ところがそれを忘れてしまうのが親なのです。    「なんでわからないの」「だいたい基本がわかってない」「こんなのもわからないなら学校やめなさい」と怒りだす。しまいには「クラスであなただけがわからないの。となりの子はできるんでしょう」と、つまらないことを言ってしまうのです。涙を流しながらやっている娘をみていると、そんなに問題となることではなく、できないのがあたりまえなんだと思います。    神様は私たちを子としてくださいます。だとすれば、私たちにとって親です。親なる神様は私にどのように接しておられるのでしょうか。怒鳴ったり叩いたりはなさいません。ましてや人と比べたりはなさいません。よき子育てもまた神様に聞くのが本当ですね。これまた祈りです。

「苦しまれたからこそ」

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鹿児島ルター君の朝のみ言葉 「苦しまれたからこそ」 ヘブル   2:18 事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。 東北被災地救援終了にあたって、これまで出会った被災者の方々に挨拶をしたときのことです。そ一人のおじいちゃんに「これから奈良にいくんだっぺか」と聞かれました。何のことかと思いました。どうも台風豪雨被害にあった奈良に救援活動にいくと思われたみたいです。被災者の方々はよく「わたしよりももっと大変な人がいるから」と言われます。「うちは流された人が2人だから。5人6人は大変だぁ」とも。自分のこともですが、被災にあって苦しんだからこそ、隣にいるひとの苦しみがよくわかると言うのです。現場にいなければわかないことがたくさんありました。救援活動の原点は現場に共にいることだと思います。 ヘブル書における「試練を受けている人たち」とは、ローマ帝国によって迫害されている人たちをさしています。しかし、迫害ゆえに信仰の疲れが生じ、信じることが出来ないというような内面的な試練の意味が強いと思われます。その試練さえも、イエス様の十字架の試練によれば取るに足らないと言います。イエス様が試練と苦しみに打ち勝たれたからこそ、苦しみ悩む者を助けることが出来る。苦しむ悩む者の試練をよくわかっていてくださるというのです。 奥様を先に天に送られ本当に心を痛めておられる方がいました。生前に奥様が描かれた油絵のすべてを亡くなってのち額に入れ、お部屋の中に飾っておられました。それだけでなく、遺骨をいつも腰のウエストポーチに入れいつもつけておられました。いつも共にあるのだということ、いつも共に礼拝しているのだという信仰だったのでしょう。 前夜式では1ヨハネ4章をお読みしました。「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神からでるもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているのです」と。 イエス様は十字架という試練を体験されました。そこでイエス様みずから苦しまれた。そしてそれをのりこえて復活されたのです。痛み苦しみと共におられるのです。その体験によって私たちを苦しみから救い出してくださるのです。試練を共に体験したものが、より深くそれを思うことができる。そこに愛があると思...

「祈られて生まれてくる」

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クレヨン牧師のミニエッセイ 「祈られて生まれてくる」    いよいよ二十六日に第三子が与えられることになりました。帝王切開のために予定が決まっているのです。しかし、親がその子供の誕生日を選べるのも不思議な気持ちがしました。お医者さんの「二十六日と翌月の二日と、どちらがいいですか。どうぞ決めてください」という言葉は、子供の誕生日を決めてくださいと聞こえたのです。    そのことを通していろいろと考えました。この三番目の子供は、実はとっても幸せなのだと思います。なぜなら、二十六日と決められているということは、その日は皆が祈っていてくださるのですから。もちろん子供は祈られて生まれてくるのですが、確実に今日から祈ってくださる方々を与えられているのです。    与えられる第三子が大きくなったとき、「あなたの誕生日はお父さんとお母さんが決めたのだよ。だからみんなが祈っていてくれたんだよ。あなたは祈られていきているのだよ」と、伝えることができます。    教会の子どもたちはみな祈られて生まれてきました。そしてこれからも祈られて育っていきます。なんという幸せなことでしょうか。

「思い悩むと」

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鹿児島ルター君の朝のみ言葉 「思い悩むと」 マタイ 6:34 明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。 禅の話に次のようなものがあります。「池で自分の母と妻が溺れていたら、どちらから先に助けるべきか」という話です。自分ならどうするだろうと思いました。その行動によって「愛」「思い」が表にでてくるような。思い悩んでいるうちに2人とも溺れてしまいそうですが。禅僧の答えは簡単なものでした。「自分に近い方から助ける」です。これは「空」ということのたとえだと思いますが、母か妻か、どちらが大切か、あとでどうなるとか思い悩む必要はないということでしょう。目のまえの出来事に素直に生きていくことです。 イエス様が山上で説教された言葉のひとつです。この34節には「思い悩む」と言う言葉が2回でてきます。聖書で同じ言葉が2回でてくるときは強調を表します。6章の最後にこの節があることを考えると、神様への信頼によって思い悩むことから解放されなさいということでしょう。しかも、明日のことまでもと言われていますから、目の前にある今日を大切にしなさいということです。 ある会合で、90歳の会社社長さんのお話しがあり、テーマは「年金なんかもらわないほうが長生きできる」というものでした。というのも、人間はやることがなくなれば早死にするといわれるのです。お友達の例をとって、「ここ数年、現役で仕事をしたり、大学教授をしていた友達が、家族から『もう歳だから仕事はやめて年金生活でゆっくりしなさい』と、仕事を辞めさせられた。すると3ヶ月もしないうちにみんな死んでしまった」と笑いながら話されるのです。人は生きるために、自分が必要とされていることが大切だと力説しておられました。「今日やることがある」「自分が今日も必要とされている」という人生は、人を生かしていく。ということでしょうか。 今日をしっかり生きることが明日へつながります。今日の命を感謝して、神様へ信頼することです。明日のことは明日自らが思い悩むことですから、それは神様におまかせして、明日の問題とすることでしょう。与えられた今日、いま目の前にある働き、招き、使命に素直にとりくんでまいりましょう。

鹿児島教会礼拝復活へ向けて一歩

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鹿児島教会の礼拝が増えてきました。 明るく、楽しい礼拝です。 礼拝後はCaféでゆっくりしています。 復活へ向けての一歩が始まりました。感謝。