2018年3月15日木曜日

人をみずに神様をみよ

クレヨン牧師のミニエッセイ

『人をみずに神様をみよ』

 小児祝福式が近づいてきました。いわゆる七五三です。今年は我が娘も満三才になり、世間では該当者です。イエス様はいつでも子供を抱き上げ祝福されたのですから、改めて日を決めて祝福をしなくてもよいのです。しかも毎週礼拝の中で祝福を受けています。しかし、だからといってやらない理由もありません。
 
 私の母は、「今年は七五三だから、ちゃんとした神社で祝詞をあげてもらいなさい」という始末。「私は牧師だから自分でやるよ」と私。母は「おまえの祝詞ではききめが薄い」と。母からみれば頼りないかもしれませんが、神様の召しを受けた聖職の身なんだぞといいたくなりました。
 
 私たちはよく、誰とか牧師に洗礼を受けたとか、祝福を受けたとかいいます。しかし、洗礼がそれを執行した人間によって、徳が増えたり減ったりすることはありません。それは祝福も同じです。神様がある人を通して祝福を与えられる。それは誰でもいいのです。神様の働きはいつも人を通して行なわれるけれど、誰を使われるかは神様が決められることです。大切なのは神様から祝福を受けるということです。