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「舌を制御する」

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鹿児島ルター君の朝のみ言葉 「舌を制御する」 ヤコブ  3:5  どんなに小さな火でも大きい森を燃やしてしまう。 読売ネットニュースで、山陽新幹線博多駅でおきた「男女のけんか」を読みました。新大阪行き「こだま 750 号」での出来事です。車内で男女がケンカをはじめたために出発が 15 分おくれ、計 1300 人に影響がでたというものでした。原因は 60 歳代と 40 歳代で内縁関係にあった 2 人が、駅弁を買うかどうかで口論となり、ケンカが相手を蹴るなどに発展したそうです。鉄道警察員3名が駆け付けて仲裁にはいったのですが、おさまらず 15 分遅れで出発。 2 人は新下関駅で下車したということでした。最初は些細な口ケンカが原因で、次第におおげさになったのでしょう。ただ、この 2 人の心の深い所にある何かを見る思いです。 ヤコブの手紙3章は「教会内の争いについて」がテーマです。初めの部分では、言い争いを生む「舌」が問題とされています。舌を制御できる人は、全身をも制御することができ、神様に完全に従うことが出来るとヤコブは教えています。ところが、舌を制御できないと大変なことになります。舌を制御できない問題は、その人の中心に何があるかだと思います。 三女の4歳の誕生日のときのことです。誕生パーティを盛大に行い?いざ誕生プレゼントになりました。お姉ちゃんたちはこの日のためにいろいろと考えたのでしょう。手作りのプレゼントを持ってきました。タオルでつくった「だんご3兄弟」、古くなったトレーナーをエプロンに作り替えたり、ぬいぐるみをリニューアルしたりと。いつもは喧嘩ばっかりしているのに、やっぱり仲良しなんだなと実感できました。たくさんの物が机に並びました。どれもこれも楽しいものばかりでしたが、三女が本当に喜んだのは、実は1枚の紙切れでした。その紙切れとはお姉ちゃんたち直筆による「表彰状」だったのです。「表彰状。あなたはぶじに4さいになりました。げんきでおたんじょうびをむかえたので、みんなでひょうしょうします。たての家のみんなより」 元気に誕生日を迎えたことを表彰されたとしたら、やっぱり嬉しいものです。いまではそんなに誕生日を特別な日だとは思わなくなりましたが、それでも無事に今年も誕生日を元気に迎える事ができたことは心から感謝すべきことだと言...

気ままな休日・送別会はウナギ

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宇土教会の前に、老舗うな専が移転してきました。 食べたいな~と礼拝後にいつもつぶやきました。 すると送別会はうな専で!と。 美味しかった~~~~~~~感謝!

納骨室完成!

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素晴らしい納骨室が完成しました!

明日は黄大衛牧師の最終礼拝!

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説教者:黄 大衛牧師(九州ルーテル学院チャプレン) 引退前の最終礼拝です!!

「朝が待ち遠しい」

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クレヨン牧師のミニエッセイ 「朝が待ち遠しい」  お盆を過ぎると、朝晩が多少涼しくなってきました。とくに朝は気持ちの良い涼しさがあります。こうなってくると、なかなか起きれなくなって困っています。 起きれないといえば、大学生のころの私の最高睡眠時間は、21時間というものがあります。よくもあれだけ寝ることができたなと感心してしまいます。しかし、人間は多く寝ることがいいことではありません。寝過ぎると反対に疲れるものだということも、そのときわかりました。  さて、わが家での一番の早起きは、3女の聖美です。朝がくるのが待ち遠しいのか、とにかく早く起きて遊んでいます。どうしてあんなに早く起きるのは楽しいのだろうかと疑問に思います。私にとっては1分でも寝ているほうが喜びなのですが。しかし、その姿をみていると、神様が今日も新しい命を与えておられることがよくわかります。その新しい命の躍動が伝わってくるような気がします。  大きくなればなるほど、神様からいただく毎日の命をおろそかにするのでしょうか。あたりまえのようにいただけるものですから、感謝もなく過ごしているのかもしれません。今日、私に命があたえられている。この命を大切にし、感謝して過ごさせていただく。そのためには、朝がくるのが待ち遠しいものでしょう。 ああ、もう少し寝ていたい。あと1分でいい。ずるずると寝ているまに、神様の恵みは先へ進んでいってしまいそうです。

「結論から」

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鹿児島ルター君の朝のみ言葉 「結論から」 マタイ  5:3  心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである 「会議での発言」というエッセイをよみました。会議で発言するときは「思いつき発言をやめる」ということが鉄則のようです。思いつき発言には、思いつき反論がでて、会議が子どもの言い合いになってしまうからです。会議での発言は、論理的に意見を述べることで議論が成立します。論理的発言とは何でしょうか。人は、「背景や経緯から話したい」という意識を持っています。これが議論をややこしくするそうです。結構言い訳がおおいからです。ということで一番大切なことは「結論からのべる」です。会話でも、英語を聞いていると先に結論がきこえてきます。日本語は最後まできかないと結論がわからない仕組みになっています。 イエス様が語られた山上の説教の始めの部分です。マタイによる福音書では、8つの祝福が語られます。その8つとも最初に「幸いである」が繰り返されます。イエス様の語りかけは、最初に「幸いである」「祝福がある」と言われるのです。この最初に「幸いである」と言われていることに注目したいと思います。 祈りについて次のような話しがあります。  「ある幼子が夜寝る前に祈りました。『神様、明日は楽しい遠足です。どうか雨を降らさないでください』。同じ時間、となりの家である農夫が祈りました。『神様、明日こそ雨を降らせてください。このままでは作物が枯れてしまいます』。さて次の日、神様はどちらの祈りを聞かれたのでしょうか」この話しは「祈りとは何か」を学ぶためのたとえ話です。結論は祈りとはそのようなものではないということです。神様は祈りを聞いてくださいますが、それは神様の御心によってであって、祈ったからの結果ではないのです。晴れでも雨でもそれは神様の御心なのであって、そこには神様だけが知っておられる恵みがあるのです。雨のときは雨なりに、神様の恵みとは何かを知る時となるでしょう。 イエス様は、直訳すれば「幸いだ、心の貧しき者たち」と言われています。初めに結論「幸いだ」を言われているのです。神様が「幸いだ」と言って下さる。だから私たちはどんな状況にあっても「幸い」なのです。こうだから、ああだからではなく、まず結論をしっかり持つことが大切です。神様が「幸い」と言...

「ひとりよがりは」

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クレヨン牧師のミニエッセイ 「ひとりよがりは」  教会では、毎週30~40通の封筒が送られていきます。礼拝を休まれた方、遠くに住んでおられる方に、週報と「神様の色鉛筆」等を送るためです。遠くはホンコンや東京まで送られています。なんとか、同じ恵みを分かち合っていただきたいとの思いからです。  さて、週報や説教集を読んでくださった方から、よく手紙をいただきます。そのような手紙は、この働きを支えてくださる私たちにとって本当の恵みです。今回、ある方が週報に載せられた私の夏の行事をみて、引退された牧師の手紙を送ってくださいました。その手紙には次ぎのように書かれてありました。  「神様の働きだからといって無理を重ねるひとりよがりは、神様のみこころでないこととおもいませんか」。  まったくそのとおりだと思います。無理を重ねるのはいけません。自分では無理だと思ってない傲慢もいけません。神様の御心を思い知ることができました。 やっと、夏の行事をすべて終えることができました。がむしゃらに走りながら、それでもたくさんの恵みと出会いを感謝いたします。18日から休暇をいただきますが、しっかり休ませていただきます。一人よがりの働きは、家族だけでなく、教会をも疲れさせていくことに気が付かせていただきました。それでも、いまできるうちに・・・。いやいや・・・。休んで考えてみます。