「状況がみえない」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「状況がみえない」

 「これは非常識だな」という出来事に出会いました。というのも、家族であるレストランにでかけたときのことでした。あいにく混み合う時間にいきましたので、かなり待っておられる方がおりました。私たちも待つことにしたので、順番の紙に並んで記入しようとしたときです。まだ何人も前の方が書いておられるのに、突然4人の中年女性がずかずかと割り込んできたのです。そして、人の順番を押しのけ係の人に名前を書かせたのでした。

 それだけならまだしも、待ち合い所のイスがあくとすぐ割り込んで席を確保し、他の友達を「まだまだだから、ここで座って待ちましょう」と呼んだのです。しかし、そこには私たちだけでなく、子供連れの客が何人もいました。ある子供たちは床に座り込んで、ある人は赤ちゃんをだっこしていたのです。この状況が彼女らに見えないわけはないと思うのですが。おまけに、苦しそうに立っている子供に「このお店は何がおいしいの」と聞いている始末。救いようがないと思いました。

 回りの状況が見えなくなる。それは確かにあります。自分ではいっさい気がついてない。いや気がつかなくなっているのです。その内に回りはどんどん疲れていってしまう。この状況がいまや家族の中にも入り込んできています。主イエスは「自分の目にある梁を取りのけなさい」といわれました。

このブログの人気の投稿

復活後第五主日礼拝