何が見えるのか
クレヨン牧師のミニエッセイ
『何を見るのか』
ヒンズ-教の聖典に、バ-ガヴァタ・プラ-ナというものがあります。そのなかに次のような話があります。
あるとき、一羽のカラスが、くちばしに一片の肉をくわえて空を飛びました。二十羽のカラスがそれを追いかけて、意地悪く攻撃しました。するとついにカラスは肉片を落しました。追いかけていたカラスは、彼一羽を残し声をあげながら肉片を追って飛び去りました。一羽だけ残ったカラスは、「ここは平和になった。空全体がぼくのものだ」といいました。
本当に大切なものは何かを見分けるのは、とても難しいものです。捨てることによって与えられることがあります。ペトロ・ヤコブ・ヨハネらは全てを捨てて従うことにより(ルカ5:11)、全てを与えられたのです。あなたが神様のまえで捨て去るものはあなたを捕らえて離さないものです。それはイエス様よりも大切なものですか。
「わたしの家が燃え尽きたとき、わたしは夜空を何にも妨げられずみることができた」と言った人がいます。私たちは何をみなければならないかを見極めるセンスを与えられたいと思います。
『何を見るのか』
ヒンズ-教の聖典に、バ-ガヴァタ・プラ-ナというものがあります。そのなかに次のような話があります。